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日本の葬儀費用は高すぎる!? 信仰心と見栄の間で、消えてゆくお金。

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今日は昨年他界した祖父の一周忌でした。何事もなく終わり、良かったなぁと思っています。

 

しかし、葬儀関係の費用に関して、何十万、何百万という額がホイホイ家計から出て行く様を見ていて、昨年から何だか違和感を感じていました。

 

調べてみると、高額の葬儀費用は日本特有の文化みたいですね。

 

 

外国と日本の葬儀費用

結論から言うと、日本の葬儀費用の平均額、高すぎです。桁が違います。

 

  • アメリカ 約40万程度
  • イギリス 約10万超
  • ドイツ  約20万弱
  • 韓国   約40万弱

日本人の葬儀費用の平均は199万といわれています。

日本の葬儀費用が外国よりも格段に高い理由 | 葬儀比較の先生 より引用

 

 

 祖父の葬儀関係費用を調べてみると、以下の通りでした。

 

  • お葬式: 80万円
  • 戒名:  100万円
  • 納骨:   5万円
  • 1周忌:    3万円 

 

合計で約190万円です。その中でも戒名にかなりの額を捻出していますね。戒名の相場も調べてみました(実家の宗派は真言宗です)。

 

宗派:真言宗

  • 信士・信女:30~50万円
  • 居士・大姉:50~70万円
  • 院信士・院信女:80万円~
  • 院居士・院大姉:100万円~

戒名料の相場が高すぎる!自分で戒名すれば無料だよね? より引用

 

昨年他界した際に、お坊さんから「一番良い院居士つけますよ!」とセールストークをされた祖母は、”心から、ありがたがって”、100万円を渡していました。

 

祖父は熱心な真言宗の信者で、毎朝仏壇に念仏を唱え、仏教画や、木彫りの仏像を作っては、お寺に寄贈をしていました。

 

その生前の行いを称えての「院居士」とのことでしたが、今までお寺の為に無償で力を尽くした相手に対して、亡くなってからも金銭を要求するお寺に対しては、僕は疑問しか感じません。

 

その事実に対して、自ら考える事なく、そのままお金を支払う祖母、父には呆れるばかりです。

 

樽は真言宗を信仰していませんので、各戒名の意味は知りませんが、亡くなった人に位をつける、しかもお坊さんに支払った額で位をつける文化など、廃れるべきと思います。

 

その支払いに価値は感じているのか?

「物やサービスに金銭を支払う」というのは、「その価値があると思うから」支払うわけで、「何だか分からない物」には、お金を支払うべきではありませんよね。

 

 

では、日本人は「多額の葬儀費用を支払って良い」と考えるほど、仏教に対して信仰熱心なのでしょうか?

 

アメリカのギャラップ社が2006年から08年にかけて行った世論調査では、日本人のなかで信仰を持っている人間は25%で、対象となった世界143カ国のうち136位という結果が出た。

 

なぜ日本人は信仰を聞かれて「無宗教」と答えたがるのか より引用

 

大方の予想通り、「無宗教大国日本」なわけです。

 

なぜ日本のお葬式がこんなに高いのかというと、お寺の経済事情と、人々の見栄や世間体が影響するからだそうです。

 

古来、お寺の経済的な面は、天皇や貴族、武士が支えてきました。しかし近代になり、特権的な身分も、寄進された土地も奪われたたお寺は、経済的な基盤を失いました。そんな中、お寺の経営を成り立たせていくためには、お葬式で高い戒名料やお布施をもらうしかなかったのです。

 

なぜ日本のお葬式は世界一高いのか? /「葬式は、要らない」書評 | 格安旅行情報ブログ:りり記 より引用

 

要するに、「お葬式」となると、思考停止に陥ってお寺や葬儀会社に言われるがまま、お金を出してしまう人が多いってことですね。

 

ただ樽自身としては、その「お葬式」という制度や、日本の仏教文化に対して、「大きな価値」を感じているのであれば、多額の葬儀費用を支払いたい人は、支払えば良いと思います。

 

樽が問題だと考えているのは、「人の死」を経験した精神的に不安定な家族に対して、宗教の権威を見せつけながら金銭を要求するような、お寺、僧侶が日本各地に存在していることです。 

 

残念ながら、自分の身とお金を守る知識は、今の日本では自分で身につけるしかなさそうです。イザという時では、正常な判断が下せない恐れもあります。身内が元気なうちに、しっかり話し合っておいた方が、良いと思います。

 

自灯明、法灯明

樽は、「お金を要求する日本仏教」には近寄りたくないですが、仏教哲学は好きです。

 

その中でも下記の言葉は座右の銘です。

 

「自灯明・法灯明」(じとうみょう・ほうとうみょう)

 

意味:他人、や私(ブッダ)に頼らず、自らを頼りとして、法を拠り所とせよ。

 

解釈:人に流されることなく、自己を見つめ、ぶれない自分をつくり、その上で、法(仏法)に従って生きよ。

 

自らを頼りにする?しない? 自灯明・法灯明の善有なりの解釈 | 人生無明。ふらつく人生に涅槃はあるのか? IT系なまぐさ坊主の懲りない日々 より引用

 

「まず自らを”ぶれない”人間として確立してから、教えや法に従おう」ということです。そして自らの考えと教えを突き合わせて、どうしても納得できないことには、従う必要はないと考えています。

 

自分の考えがない状態で教えに従っていては、教えを受ける度に、考え方がコロコロ変わってしまいますよね。

 

これは、お葬式だけでなく、ライフスタイル、投資、仕事、趣味、全てに通ずる考え方ですね。

 

樽が他界したら…

樽自身が他界した場合は、葬式も戒名も希望しません。火葬場へ直送し、遺骨は山なり、海に撒いてほしいと考えています(これはこれでお金が発生するようですが)。

 

常々思うのですが、生き物は生命を終えたら、他の生き物の餌になったり、土に還ります。しかし、人間だけがお墓の中に入って自然に還らないというのは、自然のサイクルに反しているようで、どうも腑に落ちないのです…。

 

それに子どもを残すつもりもないので、後世に向けてお墓を用意する必要もありません。現在の「樽家代々の墓」をどうするかは、また別の機会に考えましょう…。

 

↓海外では、こんな葬儀もあるのですね。

www.osohshiki.jp

 

 

"直接口(くち)に出して話しにくいテーマ"ですが、疑問を感じている人は多い筈です。

 

人の死に対して思うことは、人それぞれ違うでしょうが、「自灯明・法灯明」の心を忘れずに、各々納得のいく形で、人生の終わりを迎えたいものですね。